9月の連休(9月16日)に、三陸沿岸の山田町の「山田まつり」(山田八幡宮例大祭もしくは山田八幡宮神幸祭)に学生さんたちと参加してきました。人手が足りない、ということでのお手伝いです。
山田町というところは、震災後の津波と火事で本当に「何もなくなった」町の1つです。今回、改めて町の中を歩く機会をいただき、復興の力を感じるとともに、ここまで7年以上かかったことについても、考えることが多かったです。
さて。山田八幡宮。山田町の観光情報サイトによると、
「源義経の身代わりで討ち死にした佐藤継信の守り神(清水観音)を祀る山田八幡宮の歴史と伝統の祭りで、山田最大の祭りです。町を神輿が練り歩き、八幡大神楽や八幡鹿舞、そして東北を代表する郷土芸能「山田境田虎舞」が奉納されます。」
だそうです。
なんでも、「通りを縦横無尽に駆け回る暴れ神輿が魅力」なんだそうで、最後、この神輿を高台にある八幡宮まで担ぎ上げておしまい。しかし、思った以上に「町全体」がお祭りになるので、わざわざ見に行く価値があります。
山田八幡宮の入り口。とーってもよい天気。まだ結構朝早いのに、お祭りモード満開。ここから「暴れ神輿」が降りてきて、町内を走り回って、また登ることになります。
学生さんたちも出発です。今回は、十二支会のお手伝いで、十二支+四神と銅鑼と旗をかついでの「練り歩き」です。
他にも様々な団体(?)が練り歩いています。それぞれ、お店やおうちの前で神楽や舞を披露し、ご祝儀やご祝酒をいただいています。
小規模な神楽の団体。若い人たちが自然に太鼓叩いたり舞を舞ったりするのが不思議な感じ。ここの跡継ぎさんなんでしょうね。
虎舞。これは生でみるとかなりの迫力です。
船の上でも。
「暴れ神輿」きたっ!
写真じゃよくわからないんですが、これ、走ってきてくるくるまわって走って去って行きました。すごい迫力。
をを。あまり期待していなかったのですが、これはおもしろい。お祭りやカーニバルって、大きすぎるものよりも、小さいものの方が原点が感じられておもしろい、ことがある。そんな感じ。盛岡の秋祭りの山車は豪華だけど、一軒一軒の普通のおうちをまわるような文化はさすがに残っていない。けれども、山田町は一軒一軒のおうちをまわっているし、おうちの方も、特に商売等をしていなくても、きちんとお迎えしてご祝儀をお渡ししている。
この、着飾って(?)音楽を奏でながら(?)隊列を組んでの「練り歩き」は、ほぼ中南米のカーニバルと同じ、に思えます。カーニバルも、参加できるトリニダード・トバゴのもよかったけれども、手作り感あふれるドミニカ国のは本当に興味深くておもしろかった。のに近い感じ。
私自身は、東京郊外の新興住宅地で育ったから、こんな文化はなく、とてもうらやましい。と同時に、このグローバル化の波の中で、今後、この文化はどうなるんだろう。今、太鼓を叩いたり舞ったりしている若い人たちが、グローバル化の波に取り残されることのないように、ちょっとだけ、そういう思いが頭をよぎりました。
山田町の唯一の駅。陸中山田駅になる予定の駅。ほぼできあがっています。来年の3月に汽車が通る予定。
2012年12月2日に撮った同じ場所。津波に加えて火事でほとんどを失った場所。んでも、もう一度汽車が通るまでに「8年」かかるということ。そして。もっと難しいのは、この汽車を使う人たちがいるのか。運営が成り立つのか。地方の復興の難しさが突きつけられます。
住宅地の造成も進み、新築の家がどんどん建っています。建築中の家っていいね、幸せって感じだ。防潮堤で海が見えなくなってしまったけれども。
今回、十二支会のお手伝いをさせていただいたのですが、人手不足、後継者不足は否めません。これからどうしていくのか。この目でしっかり見届けて、考えていきたいと思います。
山田町のみなさま、本当にありがとうございました。